August 2020
8月はブログをお休みします。
とても大きな変化があると思うから。
自分の設定を変えたら、ブログを再開するときは、日本語ではないかも。
9月からは来年以降の雰囲気がはっきりとわかるようになっているはず。
後悔のない人生を。
私にとっては、それは、行きたい場所に行き、暮らしたい場所に暮らすことで、天命を全うするということ。
私は特定の宗教を信仰していないし、誰かが提唱するスピリチュアリティや自己啓発にも興味がないので、以下は私の理解です。
色々な考え方があるけれど。
カルマを解消するためのプログラムを決めて生まれている人もいるし、
そういう人たちを助けるというプログラムで生きている人もいる。
苦しむことには使命があるし、
得意なことや美点として働くことは、生きていくために与えられている七つ道具として、あるいは必要な経験をするためのスキルや器として与えられている。
ある地平に出るまでは、天命と全く違うことをする必要があったりもするし、
全く違うのに道が拓けて行くなら、それが導きになっていることがある。
この世界は天国と地獄の間、あるいは混在している世界。
どちらにふさわしい存在として生きる選択をするかで、その人の魂の成熟度が分かる。
人間の姿をしているけれど、人間ではない存在もいる。
どう生きていきたいのかがわからなくなっている人は、
今、あるいはこれから何をしたいのかということではなくて、
何をしようと決めて生まれてきた人生だったか、ということを思い出すと良いはず。
それが分かれば、先に伸びる道が必ず見つかる。
やり直しはないけれど、行き止まりということもない。
この先は、世界の変化に翻弄されて疲弊する個体が増えると思う。
2、3年は大変なはず。
仕事を失って大変な人もいるかもしれないし、安定に縛られておかしくなってしまう人もいるかもしれない。
「自分にとってどうか」ということを指標に身の振り方を決める必要がある。
これまでは我慢することで凌げていたかもしれないけれど、我慢できるレベルではないからこそ、合う、合わない一つを取っても、自分で判断する必要がある。
死ぬことも自由だし、それが寿命ということもあるけれど、事故のようなものもあるから、揺れは乗りこなせるといい。
キリスト教が創始される以前から、人類は愛を拗らせているのだけれども、時代として愛がテーマになるのではないかな。
人間は愛されないと生きていけないけれど、人間同士では愛し合えないことがあるから、キリスト教では神様がどんな人間でも愛しますと言っている。
今、癒されるべきは、男性として生きている人たちに多いと思う。
仕事で評価されないと価値がないとか、根源的な自己の保存に関わるところで揺さぶりを受け続けてきた男性。
愛されたいということの代替として、認められたい。
その努力が、認めさせたいという攻撃性に姿を変えてしまうと、他者との関係を難しくする。
他者に悪意のある攻撃性を示す人は、自己の価値に揺らぎを覚えやすい人、単純に言えば、自分を好きになれない人だと思う。
自己愛に傷がついている。
制度としての結婚は要らないような気がするけれど、愛し合える相手がいるならパートナーシップを組めば良いと思う。
神様と契約しているような人は、人間の片割れを必要としないかもしれないけれど、自分を愛するとか、誰かを愛するとか、誰かに愛されるということは、ここから先は大事なことになるはず。
離婚を推奨するわけではないけれど、節目を迎えたなら、パートナーシップを解消することも自然なこと。
人生の設定によって、パートナーシップを組む相手が何度も変わる人もいると思う。
子供たち、これから生まれる世代は、家庭を必要としていないと思う。
ここにも人類のこれからの愛の課題があるけれど、皆で育ててゆくのではないかな。
みなさま、ご自分を大切に。